ワールドカップと蒙古襲来
ワールドカップは、まさに〈国〉の威信を賭けた戦いです。
すでに名誉も地位も財産も手に入れたはずのスター選手たちが、
目の色を変えて必死にボールを追い、時に泥臭いプレーまで見せるのは、
その背中に背負ったものの大きさゆえでしょう。
そして、勝利に歓喜し敗北に落胆するのは、
どの国の国民も変わりありません。
しかし、日本における声高な〈国〉の叫び方には、違和感を覚えます。
例えば、日本代表の試合ごとに渋谷にくり出した若者たち。
明らかに〈国〉を肴に日頃のやるせない感情を放出しているだけです。
あるいは、試合前に行われる「君が代」の独唱。
国どうしの戦いですから、国家を唱うことは当然です。
ですが、なにゆえに有名な歌手が来て唱わなければならないのでしょう。
(なお、プロ野球のパリーグでは、試合前に国歌斉唱と国旗掲揚を行います。
僕はたかだがスポーツの興行に〈国〉を持ち出すのはいかがなものかと思い、
起立したことが一度もありません)
日本人がどのような国家観を持ってきたのか?
とても参考になるのが、
中世日本の対外関係史を専門とする村井章介さん(東京大学教授)が著わした
『北条時宗と蒙古襲来』(NHKブックス)です。
蒙古襲来と言えば、鎌倉時代の日本を襲った〈国家存亡の危機〉で、
当時の御家人たちは〈国の命運〉を賭けて必死に戦った。
そういうイメージがあるかもしれません。
しかし、実際はどうだったのでしょう。
教科書にも載っている『蒙古襲来絵巻』を知りませんか?
九州の御家人・竹崎季長が子孫に武功を伝えるために描かせた絵巻物で、
モンゴル軍の弓矢や火薬兵器(てつはう)を用いた攻撃に、
季長の騎乗する馬がヒヒーンといななく場面は有名です。
(僕はこの絵を見るたびに、「どこで見てたんかい」と思ってしまいます)
さて、季長はどういう意識で戦っていたのでしょう。
先を急ごうとする季長に対して、
家来たちは「味方がくるまで待ったらいかがですか」と忠告するのですが、
季長はまったく耳を貸さず、
「先駆けこそが武家のならいだ。他の武士に絶対に遅れをとるな」と
どんどん前を行ってしまうという場面があります。
このとき季長の心にあったのは、ただ一つ〈恩賞〉だけです。
実はそのころ、竹崎一族は貧窮のどん底に苦しんでいました。
だから、何とかここで手柄を立てて、恩賞を頂戴したい。
そんな気持ちが「集団の規律」を無視したスタンド・プレイに
季長を走らせていたのです。
(ちなみに、「やあやあ我こそは」と名乗りを挙げて戦う一騎打ちのスタイルは、
〈誇り高き武士の礼儀〉のように思われていますが、
本当は、名乗ることで自分の戦功を周囲に証明するだけのことです)
日本人が日本人としてのナショナル・アイデンティティを持つのは、
明治時代になってからにすぎません。
(社会科学編「11 国家という病」参照)
御家人たちは誰一人として〈国のために〉戦ったわけではなかったのです。
ところで、国家とは一つの空間的実在ですから、
複数の国が同一の場所を共有することはできません。
2つの国の間には、〈国境〉を引く必要があります。
アメリカ人日本古代史研究者のブルース・バートンさんが著わした
『国境の誕生』(NHKブックス)は、
古代の朝廷が設置した大宰府という〈国境〉にスポットを当てた著作です。
九州に外交の出先機関として大宰府が置かれた7世紀後半、
朝廷は白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大惨敗を喫していました。
この時が最初で最後、〈国家存亡の危機〉を本気で感じた時期でしょう。
朝廷は、軍団兵士制という徴兵に基づく国軍を作り上げるとともに、
朝鮮半島からの渡来人の来日も厳しく取り締まりました。
それが大宰府の始まりです。
〈日本〉の領域を明確に意識しつつ、外部からの他者は強力に排除する。
大宰府こそが日本初の〈国境〉であったと言えると思います。
しかし、それはあくまでも国家(朝廷)レベルでの視点です。
民間レベルではどうだったのでしょう。
9世紀末、朝廷は300年以上続いた遣唐使を廃止しましたが、
その一方で、僧侶や商人たちの私的な往来は活発となっていきました。
10世紀以降、大宰府は貿易センターの様相を呈します。
朝廷が〈国家〉の意識にとらわれ、かたくなに国交を拒否している間に、
人々は軽々と〈国境〉を超え、真の意味での国際交流が始まったのです。
(なお、「遣唐使の廃止により海外からの影響がなくなり、
国風文化が開花した」という一見もっともらしい見解は、
私的交流が活発化していたという事実を前に説得力を持ちません。
藤原氏ら貴族たちも、自分たちは外国人との接触を避けていたのに、
留学僧が持ち帰った仏像や陶磁器は「唐物」と珍重していたのですから。
現在では、長年にわたる中国文化の消化・吸収の上に立って、
日本的に洗練された文化が成立したと考えられています)
〈国〉とは何か、〈日本〉とは何か。
自明にも思えるだけに、その中身を問い直す必要がありそうです。
すでに名誉も地位も財産も手に入れたはずのスター選手たちが、
目の色を変えて必死にボールを追い、時に泥臭いプレーまで見せるのは、
その背中に背負ったものの大きさゆえでしょう。
そして、勝利に歓喜し敗北に落胆するのは、
どの国の国民も変わりありません。
しかし、日本における声高な〈国〉の叫び方には、違和感を覚えます。
例えば、日本代表の試合ごとに渋谷にくり出した若者たち。
明らかに〈国〉を肴に日頃のやるせない感情を放出しているだけです。
あるいは、試合前に行われる「君が代」の独唱。
国どうしの戦いですから、国家を唱うことは当然です。
ですが、なにゆえに有名な歌手が来て唱わなければならないのでしょう。
(なお、プロ野球のパリーグでは、試合前に国歌斉唱と国旗掲揚を行います。
僕はたかだがスポーツの興行に〈国〉を持ち出すのはいかがなものかと思い、
起立したことが一度もありません)
日本人がどのような国家観を持ってきたのか?
とても参考になるのが、
中世日本の対外関係史を専門とする村井章介さん(東京大学教授)が著わした
『北条時宗と蒙古襲来』(NHKブックス)です。
蒙古襲来と言えば、鎌倉時代の日本を襲った〈国家存亡の危機〉で、
当時の御家人たちは〈国の命運〉を賭けて必死に戦った。
そういうイメージがあるかもしれません。
しかし、実際はどうだったのでしょう。
教科書にも載っている『蒙古襲来絵巻』を知りませんか?
九州の御家人・竹崎季長が子孫に武功を伝えるために描かせた絵巻物で、
モンゴル軍の弓矢や火薬兵器(てつはう)を用いた攻撃に、
季長の騎乗する馬がヒヒーンといななく場面は有名です。
(僕はこの絵を見るたびに、「どこで見てたんかい」と思ってしまいます)
さて、季長はどういう意識で戦っていたのでしょう。
先を急ごうとする季長に対して、
家来たちは「味方がくるまで待ったらいかがですか」と忠告するのですが、
季長はまったく耳を貸さず、
「先駆けこそが武家のならいだ。他の武士に絶対に遅れをとるな」と
どんどん前を行ってしまうという場面があります。
このとき季長の心にあったのは、ただ一つ〈恩賞〉だけです。
実はそのころ、竹崎一族は貧窮のどん底に苦しんでいました。
だから、何とかここで手柄を立てて、恩賞を頂戴したい。
そんな気持ちが「集団の規律」を無視したスタンド・プレイに
季長を走らせていたのです。
(ちなみに、「やあやあ我こそは」と名乗りを挙げて戦う一騎打ちのスタイルは、
〈誇り高き武士の礼儀〉のように思われていますが、
本当は、名乗ることで自分の戦功を周囲に証明するだけのことです)
日本人が日本人としてのナショナル・アイデンティティを持つのは、
明治時代になってからにすぎません。
(社会科学編「11 国家という病」参照)
御家人たちは誰一人として〈国のために〉戦ったわけではなかったのです。
ところで、国家とは一つの空間的実在ですから、
複数の国が同一の場所を共有することはできません。
2つの国の間には、〈国境〉を引く必要があります。
アメリカ人日本古代史研究者のブルース・バートンさんが著わした
『国境の誕生』(NHKブックス)は、
古代の朝廷が設置した大宰府という〈国境〉にスポットを当てた著作です。
九州に外交の出先機関として大宰府が置かれた7世紀後半、
朝廷は白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大惨敗を喫していました。
この時が最初で最後、〈国家存亡の危機〉を本気で感じた時期でしょう。
朝廷は、軍団兵士制という徴兵に基づく国軍を作り上げるとともに、
朝鮮半島からの渡来人の来日も厳しく取り締まりました。
それが大宰府の始まりです。
〈日本〉の領域を明確に意識しつつ、外部からの他者は強力に排除する。
大宰府こそが日本初の〈国境〉であったと言えると思います。
しかし、それはあくまでも国家(朝廷)レベルでの視点です。
民間レベルではどうだったのでしょう。
9世紀末、朝廷は300年以上続いた遣唐使を廃止しましたが、
その一方で、僧侶や商人たちの私的な往来は活発となっていきました。
10世紀以降、大宰府は貿易センターの様相を呈します。
朝廷が〈国家〉の意識にとらわれ、かたくなに国交を拒否している間に、
人々は軽々と〈国境〉を超え、真の意味での国際交流が始まったのです。
(なお、「遣唐使の廃止により海外からの影響がなくなり、
国風文化が開花した」という一見もっともらしい見解は、
私的交流が活発化していたという事実を前に説得力を持ちません。
藤原氏ら貴族たちも、自分たちは外国人との接触を避けていたのに、
留学僧が持ち帰った仏像や陶磁器は「唐物」と珍重していたのですから。
現在では、長年にわたる中国文化の消化・吸収の上に立って、
日本的に洗練された文化が成立したと考えられています)
〈国〉とは何か、〈日本〉とは何か。
自明にも思えるだけに、その中身を問い直す必要がありそうです。

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