TOP   >   2010年 6月

内閣が短命な理由

かつて、東京大学の日本史の入試問題で、
〈戦前の内閣が短命だったのはなぜか〉という問題が出題されたことがあります。
今から30年ほど前、1885年に内閣制度が発足して
100年ほど経とうとしていた、1981年のことです。
大日本帝国憲法と日本国憲法における政治制度の違いから考えさせる、
とても面白い問題でしたので、長いですが全文を引用します。
 
「1885(明治18)年12月、日本において近代的内閣制度が制定され、第1次伊藤内閣が発足して以来、1947(昭和22)5月、大日本帝国憲法に代って日本国憲法が施行され、第1次吉田内閣が退陣するまで、1代の内閣(同一の首相が連続して内閣を組織した場合は1代として数える。以下同じ)の平均存続期間は約1年5カ月であった。これは日本国憲法の時代における1代の内閣存続期間が約2年9カ月(1980年7月の大平内閣総辞職まで)であるのに較べると、いちじるしく短い。

 帝国憲法の時代(内閣制度制定以後憲法発布までを含む)の内閣がこのように短命であったのは、いかなる理由によるものと考えられるか。帝国憲法のもとでの政治制度の特色に即して、その理由を200字以内で述べよ」
 
まず、教科書的な説明をしておきましょう。
第1に、大日本帝国憲法において内閣は天皇に直属する一機関にすぎず、
他の機関からの攻撃や干渉を受けやすかったことが指摘されます。
大日本帝国憲法では、天皇が主権者で、強大な権力を握っていました。
第4条にはこうあります。
「天皇ハ国家ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」
〈統治権ヲ総攬(そうらん)〉、つまり、この国の行き先を一人で全部決めるのが、
天皇だったのです。
 
それゆえ、大日本帝国憲法下の諸機関は、
独立して天皇に直属するものとして位置づけられていました。
例えば、帝国議会は第37条で次のように規定されています。
「凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス」現在の日本国憲法のように、三権分立の原則の下で立法権は国会に属するのではなく、立法権は国家元首たる天皇が握る、
そして、帝国議会は天皇の〈協賛〉機関にすぎなかったのです。
 (同様に、司法権も天皇が握り、戦前の裁判は全て天皇の名の下に行われました)
また、陸海軍の指揮権(統帥権)も天皇の専権事項であり、
軍部への内閣・議会の干渉は許されませんでした(統帥権の独立)。
 
このように、大日本帝国憲法において諸機関は天皇に独立して直属し、
内閣もその一機関にすぎないという位置づけだったため、
帝国議会・軍部・枢密院など他の機関からの攻撃を受けやすかったのです。
例えば、内閣制度発足当初の薩長藩閥政府は
議会で多数を占める民党(民権派)の攻撃を受けましたし、
軍部は軍部大臣現役武官制を悪用して倒閣に動くこともありました。
また、枢密院が緊急勅令案を否決して
第1次若槻内閣を退陣に追い込んだ例も知られるところです。
戦前の内閣は、外部の機関に取り囲まれた状態だったのです。
 
*参考 軍部大臣現役武官制
陸軍大臣・海軍大臣の任用は現役の大将・中将に限るとした制度。内閣が要求に応じない場合、軍部は大臣を引き上げて倒閣に動いた。上原勇作陸相の単独辞任による第2次西園寺内閣の総辞職(1912)や、陸相候補の事態による宇垣内閣の不成立(1937・「流産内閣」と呼ばれた)などの事例がある。
 
*参考 枢密院
天皇の諮詢にこたえ重要国務を審議する機関。国務大臣と枢密顧問から構成される。1927年、金融恐慌が発生する中で、第1次若槻内閣が進める協調外交(中国不干渉政策)に不満を抱く枢密顧問らは、内閣から提出された台湾銀行救済の緊急勅令案(緊急勅令は帝国議会の閉会中に法律に代わって認められていた天皇の勅令で、枢密院で審議するとされた)を否決し退陣に追い込んだ。
 
第2に、内閣そのものの組織の弱さも指摘しなければなりません。
実は、大日本帝国憲法に〈内閣〉の語は一度も用いられてはおらず、
慣用的にそう呼ばれていたにすぎないのです。
 (つまり、制度的な規定は何もないということ)
国務大臣に関しては第33条に次のような規定があります。
「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」
大日本帝国憲法下の国務大臣は、
外相は外交のこと、蔵相は財政のことといったように、
統治権を総攬する天皇を個別に〈輔弼(ほひつ・助ける)〉だけでした。
首相には各大臣の統率権限も規定されていません。
 (日本国憲法では首相が大臣の任命権者ですから、
意向に従わない大臣は福島大臣のように罷免できます)
戦前の内閣はばらばらの組織だったのです。
 
まとめると、内閣そのものの組織としての弱さと、
他の機関との関係から、戦前の内閣は憲法制度的にぜい弱で、
それゆえ短命に終わったということが、解答の要点となります。
 
ところが、です。
平成になってから22年間ですでに16人の首相が誕生しています。
内閣1代あたり約1年半ですから、戦前とほとんど変わりありません。
政経の教科書などを読むと、
「戦後の日本は、民主的な日本国憲法が制定され、民主的な世の中になった」
という趣旨の文章が、かなり不用意に書かれています。
ですが、憲法を民主的に運用するのは私たち国民自身です。
首相が交代しただけで支持率が回復するのを見るにつけ、
この国には本当の意味でのデモクラシー(民主政治)が根づいていないと感じざるを得ません。

コメント

コメント投稿

上記の情報を次回から自動入力

絶賛発売中

時事テーマとキーワード
--小論文--
時事テーマ

キーワード
《社会科学編》
《看護医療編》

プロフィール

【相澤 理】
(AIZAWA OSAMU)
職業:予備校講師

カレンダー

2010 / 9



1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

Blog Owner

相澤 理