小説・ナカノオーエノオージ
「で・・・どうしますか」
マスターは、季節外れの門松でも見るように僕の顔を鏡越しにのぞきこみ、
いぶかしげに言った。
むむむむ、だからいつもと違う床屋に行くのは嫌なんだ。
今年も猛暑が続いた8月の終わり、僕は藤沢にいた。無茶な依頼で、
ふだんは行かない校舎に夏期講習の講座を入れられたのだ。
しかも、午前と夕方の授業の間に、4時間近くの空きがあった。
駅前の喫茶店はすべて行きつくし、5日目の最終日、しかたなしに
町外れにある床屋のドアをくぐった。
「え、えっと・・・1センチくらい」
僕は、予備校講師にはあるまじく、人と面と向かって話すのが苦手だった。
緊張してしまうのだ。
マスターは実りある対話をあきらめたらしく、おもむろに椅子を上げて髪を切りはじめた。
鏡の顔には、疲労の色がありありと写しだされていた。
それは、炎天下の苛酷なスケジュールだけが理由ではなかった。
夏前に30歳を超えた僕の身体からは、確実に何かが損なわれていた。
「巨人相変わらず強いですねえ」
話のきっかけとしては、適切である。しかし、僕はますます閉口した。
昨日の福浦のバッティングについてだったら、いくらでも話せるのに。
でも、藤沢の床屋のマスターがロッテ・ファンである確率は、今から阪神が優勝する確率以上に
低いし、もし仮にそうだったとしても、初対面の客にロッテの話をするというのは、少し非常識である。
「これくらいでいいですか」
頭の後ろに鏡を並べ、投げやりにマスターは言った。僕は「はい」と答えた。
それ以外の言葉が、口から出てくるはずもなかった。
首からビニールがすっぽりと被せられた。洗髪だ。首には水が入らぬよう、手ぬぐいが挟みこまれた。
「きつくないですか」多少きつかったが、黙ってうなづいた。
だいたい、きつくなかったら、用をなさないではないか。
シャンプーが始まる。ごしごし。床屋での洗髪は、実質的というか、自分ではできない力強さがあって、
とても好きだ。しかし、髪の毛が余計に抜けないか、少し心配である。
昨年の夏あたりから、抜け毛が気になりはじめていた。
「前にどうぞ」マスターはシャワーの温度を手で確かめながら、洗面台の前へと僕をうながした。
後頭部に当たる湯の刺激が心地よい。すると、それを邪魔するように、マスターは言った。
「かゆいところはありませんか」その時、僕は「右の耳の方」と答える自分を想像した。
そして、その響きを頭の中で反すうしているうちに、「中大兄皇子」が思い浮んだ。
日本史の講師らしく。みぎのみみのほう→ナカノオーエノオージ。
僕は授業でも、中大兄皇子と口にするのが好きだった。
授業の最初に「それではテキストを開いて」というだけで噛んでしまう僕でも、中大兄皇子と
口にすると何か滑舌がよくなったような感じがする。
もうひとつ、「コシャマインの乱」もお気に入りだ。
ナカノオーエノオージ、コシャマインノラン、こういうのが、本当の『声に出して読みたい日本語』なんだよ。
しかし、藤沢の場末の床屋で洗髪されている現実の僕は、「いいえ」と答える。
僕はだれも見ていない洗面台の底にむかって、ひとりニヤリとした。
その拍子に水が目に入り、少ししみた。
髭を剃り、ドライヤーで髪を整えてもらうと、いくぶんか疲労の影も薄くなったように感じた。
空き時間に床屋というのも、悪くはないな。
外に出ると、だいぶ陽は落ちたものの、けだるい暑さが続いていた。
僕はまた、30過ぎのしがない予備校講師に戻る。今年の夏、最後の授業だ。
※
この文章は、今から数年前に、とある予備校で
「生徒配布用の冊子に何か書いてくれませんか」と頼まれて、
「じゃあ、現代的な明るさの中に哀愁をたたえた歴史小説を書きますよ」
と言って原稿を送り、案の定ボツになったものです。
それ以来、小説は書いていません。
(これが小説と言える代物かは別にして)
マスターは、季節外れの門松でも見るように僕の顔を鏡越しにのぞきこみ、
いぶかしげに言った。
むむむむ、だからいつもと違う床屋に行くのは嫌なんだ。
今年も猛暑が続いた8月の終わり、僕は藤沢にいた。無茶な依頼で、
ふだんは行かない校舎に夏期講習の講座を入れられたのだ。
しかも、午前と夕方の授業の間に、4時間近くの空きがあった。
駅前の喫茶店はすべて行きつくし、5日目の最終日、しかたなしに
町外れにある床屋のドアをくぐった。
「え、えっと・・・1センチくらい」
僕は、予備校講師にはあるまじく、人と面と向かって話すのが苦手だった。
緊張してしまうのだ。
マスターは実りある対話をあきらめたらしく、おもむろに椅子を上げて髪を切りはじめた。
鏡の顔には、疲労の色がありありと写しだされていた。
それは、炎天下の苛酷なスケジュールだけが理由ではなかった。
夏前に30歳を超えた僕の身体からは、確実に何かが損なわれていた。
「巨人相変わらず強いですねえ」
話のきっかけとしては、適切である。しかし、僕はますます閉口した。
昨日の福浦のバッティングについてだったら、いくらでも話せるのに。
でも、藤沢の床屋のマスターがロッテ・ファンである確率は、今から阪神が優勝する確率以上に
低いし、もし仮にそうだったとしても、初対面の客にロッテの話をするというのは、少し非常識である。
「これくらいでいいですか」
頭の後ろに鏡を並べ、投げやりにマスターは言った。僕は「はい」と答えた。
それ以外の言葉が、口から出てくるはずもなかった。
首からビニールがすっぽりと被せられた。洗髪だ。首には水が入らぬよう、手ぬぐいが挟みこまれた。
「きつくないですか」多少きつかったが、黙ってうなづいた。
だいたい、きつくなかったら、用をなさないではないか。
シャンプーが始まる。ごしごし。床屋での洗髪は、実質的というか、自分ではできない力強さがあって、
とても好きだ。しかし、髪の毛が余計に抜けないか、少し心配である。
昨年の夏あたりから、抜け毛が気になりはじめていた。
「前にどうぞ」マスターはシャワーの温度を手で確かめながら、洗面台の前へと僕をうながした。
後頭部に当たる湯の刺激が心地よい。すると、それを邪魔するように、マスターは言った。
「かゆいところはありませんか」その時、僕は「右の耳の方」と答える自分を想像した。
そして、その響きを頭の中で反すうしているうちに、「中大兄皇子」が思い浮んだ。
日本史の講師らしく。みぎのみみのほう→ナカノオーエノオージ。
僕は授業でも、中大兄皇子と口にするのが好きだった。
授業の最初に「それではテキストを開いて」というだけで噛んでしまう僕でも、中大兄皇子と
口にすると何か滑舌がよくなったような感じがする。
もうひとつ、「コシャマインの乱」もお気に入りだ。
ナカノオーエノオージ、コシャマインノラン、こういうのが、本当の『声に出して読みたい日本語』なんだよ。
しかし、藤沢の場末の床屋で洗髪されている現実の僕は、「いいえ」と答える。
僕はだれも見ていない洗面台の底にむかって、ひとりニヤリとした。
その拍子に水が目に入り、少ししみた。
髭を剃り、ドライヤーで髪を整えてもらうと、いくぶんか疲労の影も薄くなったように感じた。
空き時間に床屋というのも、悪くはないな。
外に出ると、だいぶ陽は落ちたものの、けだるい暑さが続いていた。
僕はまた、30過ぎのしがない予備校講師に戻る。今年の夏、最後の授業だ。
※
この文章は、今から数年前に、とある予備校で
「生徒配布用の冊子に何か書いてくれませんか」と頼まれて、
「じゃあ、現代的な明るさの中に哀愁をたたえた歴史小説を書きますよ」
と言って原稿を送り、案の定ボツになったものです。
それ以来、小説は書いていません。
(これが小説と言える代物かは別にして)

コメント
はじめまして。私は東京都内の私立中学・高校で現代文の教員をしています。私も内田樹氏の著作を愛読しています。『小論文時事テーマとキーワード』を拝読しました。生徒たちにぜひ薦めたい一冊でした。今後もブログを読ませていただきます。
投稿者: S 2010-01-06 19:33:28