「子ども手当」よりも「子ども課税」を
15歳未満の子どもがいる世帯に1人につき月2万6000円を支給する
「子ども手当」を、鳩山政権は来年度からの実施を目指しています。
しかし、僕はその財源の危うさだけでなく、
以下の2つの点から反対です。
第1に、「子ども手当」は、大げさに言えば、
〈子どもを作るという選択〉に対する国家権力の介入に当たります。
子どもを作ることは正しい・善であるという考えを、
国民に押し付けるようなものです。
子どもを作るのも自由、作らないのも自由。
それを国の政策としてニンジンをぶら下げて子どもを作らせようとするのは
いかがなものでしょうか?
少子化対策としては違う方法があるはずです。
第2に、「子ども手当」には、
〈子どもを作るという選択〉ができない人に対する配慮が感じられません。
不妊に悩む女性は、「お子さんはまだですか」という、
無邪気でそれだけに罪の重い親類・知人の言葉に苦しめられています。
「子ども手当」は、そうした女性に対して
国家が「お子さんはまだですか」と声をかけるようなものです。
また、現今の格差社会では、結婚したくてもできない、
子どもがほしくても作れない経済的弱者が存在しています。
そこに、子どもを持つ経済的な余裕のある世帯に手当を支給する。
格差を拡大するようなものです。
(注 民主党の考える「子ども手当」に所得制限はありません)
発想の転換が求められます。
子どもを作る作らないは、個人(カップル)に選択が任された権利です。
しかし、権利には義務がともないます。
子どもを作ることを選択したからには、
未来を切り開く責務を果たさなくてはなりません。
僕は、『小論文時事テーマとキーワード』看護医療編において、
「生まれてくる子どもに自己決定権はない」と書きました。
生まれてくることに対して、
子どもに自由(その裏返しとして責任も)はないのです。
その責任は、生むことを選択した者(カップル)が取らなければなりません。
では、どのようにして責任を果たすべきなのか?
看護医療編「16 環境問題と自己決定権」では、
過去の世代から受けた〈恩〉を未来の世代に返すという、
アメリカの倫理学者キャラハンの議論を紹介しました。
世代間倫理(現在の世代は未来の世代に対して責任を持つという考え方)に、
重要な視点を提供するものだと思います。
しかし、残念ながら具体性がありません。
そして、具体性がないと口だけで何もしない人を許してしまいます。
子どもを作らないことよりも、何も考えずに子どもを作ることの方が、
よっぽど問題です。
そこで、法哲学者の小林和之さんは、
「子どもを作るという選択への課税」を提唱しています。
(『「おろかもの」の正義論』ちくま新書)
子ども作る選択した人が、未来に向けて責任を取るよう制度設計する。
「子ども手当」とは逆の発想です。
これは、すでに選択した人に対して課税するのですから、
選択の自由に対する国家権力の介入にはあたりません。
小林さんの意見に、独身で子どものいない僕は大賛成ですが、
子どものいる人にとってはどうなのでしょうか?
『小論文時事テーマとキーワード』社会科学編の編集担当者が、
コメントしてくれると思います。
「子ども手当」を、鳩山政権は来年度からの実施を目指しています。
しかし、僕はその財源の危うさだけでなく、
以下の2つの点から反対です。
第1に、「子ども手当」は、大げさに言えば、
〈子どもを作るという選択〉に対する国家権力の介入に当たります。
子どもを作ることは正しい・善であるという考えを、
国民に押し付けるようなものです。
子どもを作るのも自由、作らないのも自由。
それを国の政策としてニンジンをぶら下げて子どもを作らせようとするのは
いかがなものでしょうか?
少子化対策としては違う方法があるはずです。
第2に、「子ども手当」には、
〈子どもを作るという選択〉ができない人に対する配慮が感じられません。
不妊に悩む女性は、「お子さんはまだですか」という、
無邪気でそれだけに罪の重い親類・知人の言葉に苦しめられています。
「子ども手当」は、そうした女性に対して
国家が「お子さんはまだですか」と声をかけるようなものです。
また、現今の格差社会では、結婚したくてもできない、
子どもがほしくても作れない経済的弱者が存在しています。
そこに、子どもを持つ経済的な余裕のある世帯に手当を支給する。
格差を拡大するようなものです。
(注 民主党の考える「子ども手当」に所得制限はありません)
発想の転換が求められます。
子どもを作る作らないは、個人(カップル)に選択が任された権利です。
しかし、権利には義務がともないます。
子どもを作ることを選択したからには、
未来を切り開く責務を果たさなくてはなりません。
僕は、『小論文時事テーマとキーワード』看護医療編において、
「生まれてくる子どもに自己決定権はない」と書きました。
生まれてくることに対して、
子どもに自由(その裏返しとして責任も)はないのです。
その責任は、生むことを選択した者(カップル)が取らなければなりません。
では、どのようにして責任を果たすべきなのか?
看護医療編「16 環境問題と自己決定権」では、
過去の世代から受けた〈恩〉を未来の世代に返すという、
アメリカの倫理学者キャラハンの議論を紹介しました。
世代間倫理(現在の世代は未来の世代に対して責任を持つという考え方)に、
重要な視点を提供するものだと思います。
しかし、残念ながら具体性がありません。
そして、具体性がないと口だけで何もしない人を許してしまいます。
子どもを作らないことよりも、何も考えずに子どもを作ることの方が、
よっぽど問題です。
そこで、法哲学者の小林和之さんは、
「子どもを作るという選択への課税」を提唱しています。
(『「おろかもの」の正義論』ちくま新書)
子ども作る選択した人が、未来に向けて責任を取るよう制度設計する。
「子ども手当」とは逆の発想です。
これは、すでに選択した人に対して課税するのですから、
選択の自由に対する国家権力の介入にはあたりません。
小林さんの意見に、独身で子どものいない僕は大賛成ですが、
子どものいる人にとってはどうなのでしょうか?
『小論文時事テーマとキーワード』社会科学編の編集担当者が、
コメントしてくれると思います。

コメント
いつも楽しく相澤先生のブログを拝読しています。
『2010-2011小論文 時事テーマとキーワード 社会科学編』を担当しました旺文社の編集者です。コメントを、と先生からご指名いただきましたので少しばかり記します。公の場(?)に自身の意見を示すのは緊張しますね。
私は2歳の娘を持つ母親ですが、相澤先生のご意見も大変に納得がいきます。国家の介入も問題ですし、それらが不妊に悩む女性を傷つけてしまうのも事実だと思います。しかし一方で、現代の日本の中絶件数が年間30万件を超えているという事実も見逃せないのではないでしょうか。もちろん、諸々の事情があると思うので一概には言えません。しかし、経済的理由で出産を悩んでいる女性に「2万6000円」が背中を押してくれるのも事実です(そういった点から考えると所得制限は設けた方がいいですね)。
続く→
投稿者: 旺文社 編集担当者 2009-12-08 16:00:43
ただし、編集部内で話し合ってみると色々な意見が出ました(相澤先生のブログ、結構みんな熱心に読んでいます)。法哲学者の小林和之さんの論を引用なさって「子ども課税」案を紹介した文章には異論を唱えた人も多数です。その中の一人は「『子ども課税』というならば、年金も考え直さなければいけないのでは」と言っています。たしかに、年金とは現在の働き手の税金から支給されていますよね。ということは次世代の働き手(子ども)がいない人たちには年金を受け取る資格がない…という極論もでてしまうかもしれません。
何事も一面的には考えてはいけないのだな…と考えれば考えるほど痛感します。
私個人は、というと2万6000円支給されたらもちろん嬉しいです。ですが、娘が大きくなった時に住みよい社会にするため、というのであるならば別に使っていただいても全く構いません。何に使われたんだか分からない…が一番困りますよね。
投稿者: 旺文社 編集担当者 2009-12-08 16:02:45
たまたまこのブログにヒットして、読んでいくうちにどんどん引き込まれてしまいました。こんなスパッと言ってくれる人がいるんだって。ちょっと感動・・・
子供を作れる人には、子供を持てる自由があるんです。そして、その権利を行使した場合は、その責任も生まれる。なのに、そこに国が手当を与えるのは不自然です。むしろ、これにかぎらずですが、権利の行使した人にはそれなりの課税をするべきだという考え方に私も賛成です。
私は女で子供もいません。そんな私が「子供手当反対」とかを面と向かって口にすれば、きっと「子供がいない女のひがみ」と思われるかもしれません。でも、そんなふうにして本音を言えない人達が、本当はいっぱいいると思います。
なんだか、このブログを読んですっきりしました。また読みに来ます。
投稿者: のの 2010-02-27 17:23:14