2010-1-25

『板尾創路の脱獄王』を観る

(今回の記事には、
現在公開中の映画のストーリー展開に関わる
内容が含まれていますのでご注意下さい。
ただし、知っていて観ても十分に面白いと思いますよ)

板尾創路さんの初監督作品『板尾創路の脱獄王』を観ました。
全編が最後の1コマのための前フリという、
板尾さんのシュールさ全開の映画でしたが、
いま書き続けている〈家族〉という視点から捉え直したとき、
〈親子の絆〉がいかに危ういものであるかについて
考えさせられました。

血の繋がった親子は話さずともお互いの気持ちが分かる、と言われます。
いや、話してしまったらお互いの気持ちなど分かっていないことが
明らかになってしまいますので、話してはいけません。
口にしてはいけない。こうして、
現実が露呈することを恐れる親子双方の暗黙の了解のうちに、
〈無言のままの意思疎通〉という幻想は強化されていくのです。

父親に再会するため脱獄を繰り返す、板尾さん演じる脱獄王・鈴木雅之は、
最後の場面、眼と眼があった瞬間に、
この人こそが自分の父親であると確信します。
なぜ父親の胸元に彫られた富士山の入れ墨を確かめないのか。
そのような疑問や批判は筋違いです。
そんなことを確認したら、〈親子の絆〉は台無しになってしまいます。
確かめずとも、言葉を交わさずとも、
見つめあうだけで親子と分かる。そうでなくてはいけないのです。

これで終われば「感動の嵐」「全米が泣いた」になるのですが、
板尾さんがそんな映画を作るわけがありません。
後から振り返ると、〈親子の絆〉の幻想が暴かれてしまうのですから、
結構コワイ映画です。ぜひ御覧下さい。

しかし、最後のカットでの板尾さんの何と幸せに満ち足りた表情のこと。
板尾さんは、たとえそれが勘違いによる幻想の産物だとしても、
〈親子の愛〉を信じたかったのかもしれません。
それから、赤の他人であるはずの笑福亭松之助さんの微笑み。
これこそが、〈親子の愛〉という幻想の感染力です。

自明なものとされる〈家族の絆〉に揺さぶりをかける。
僕は映画を観終わった後、
糸井重里さん(肩書きはどう書けば良いのでしょう)が書いた
小説『家族解散』(新潮文庫)を思い出して読み直しました。

ある日、父親の小倉文彦氏が、
「日本人は日本人らしく」とちゃぶ台を持ち帰ってきたことから、
これまでテーブルの上に置かれていた魔法びんや小梅の容器は居場所を失い、
それと同時に家族たちにも居心地の悪さが広がっていきます。

まず、ちゃぶ台での初めての食後に、
高校生の長男・明彦が灰皿代わりに使っていたマーマレードびんを
部屋から持ってきて、家族の前で煙草を吸い始めました。
明彦の喫煙は、母親の絹枝もうすうす勘付いていたことです。
しかし、「現場」さえ見なければ、咎めはしない。
それが家族の暗黙のうちに取り決められた「法律」でした。
だから、それを分かって明彦も部屋で吸っていたはずです。
それなのに、ちゃぶ台が我が家にやってきた途端、家族の目の前で吸う。
注意せざるを得ない状況が、否応なしに生じてしまいました。
「現場」を恐れていたのは、明彦ではなく絹枝のほうだったのです。

このぶんだと、まだまだ何かが起こり続けるにちがいない。
絹枝は注意するのも忘れてぼんやりとした恐怖を感じます。
それは思い過ごしではありませんでした。
この後、明彦は「心配しなくて良い」と毎日電話しながら家出し、
長女の明子は恋人と別れ、次女の文枝はエロ本を家に持ち帰り、
文彦氏も会社を休み、夕暮れのふろ場で「かなり、さみしい」とつぶやく。
家族はヘンテコなことになってしまったのです。

そうした中、家出から帰ってきた明彦は、
ヒマラヤ不動産という名の赤の他人を家に連れ込みます。
素性の知れない訪問客に、落ち着かない空気の流れる茶の間。
しかし、ヒマラヤ不動産用の歯ブラシや湯のみが準備され、
家族の一員として自然に溶け込んでいきます。
糸井さんの家族に対する鋭い視点を感じさせるのが、次の一文です。

「小倉家は、一日のうちに、昨夜はじめて訪れてきた客を「家族同様」の人に決めてしまった。
いや、誰もそう決めたわけではなかったのだが、タオルや湯のみや歯ブラシが、
ヒマラヤ不動産の、これからの立場をかたちづくってしまったのです。」

家族は血の繋がりによって家族であるわけではありません。
日常生活の営みを通じて、日常生活を送る上で必要な物を介して、
家族となるのです。
前回書いたように、家族とは第一義的に相互扶助的な支えあいによる組織です。
〈夫婦の愛〉や〈家族の絆〉は、
その後から生まれてくる二次的なものにすぎません。
それを余すところなく描いたのが、『家族解散』でした。

2010-1-18

変容する家族、変わらない価値観

前回の話からの続きです。

昨年、この場で「婚活」問題について取り上げていたときに、
終身雇用と年功序列に支えられた職場環境が崩れ、
恋愛市場の自由化(規制緩和)が進行しているにもかかわらず、
価値観は旧態依然のままであることが問題だ、
女性に家のことは全部やってもらいたいと考える男性と、
男性に一生の面倒をみてもらいと願う女性は、
相手が見つからないことになると論じました。
(10月13日付ブログ10月26日付ブログ参照)

社会は変わっているのに、価値観は変わらない。
家族においても同じようなことが起っているのかもしれません。

戦前には、封建的イエ制度と呼ばれる枠組みが個人を縛っていました。
この制度の下では、個人の自由よりもイエの存続の方が優先されました。
それぞれのイエが持つ、家業や家産の維持こそが第一とされたのです。
そのため、イエの者は家長(父)の命に絶対に従わなければなりません。
こうした、家長が絶対の権限を握る家族制度を家父長制と言います。
強力な家長権(戸主権)は民法でも認められていました。
そして、このような環境の下で、
女性(妻)は男性(夫)に仕えるものという男尊女卑の観念が再生産され、
女性はイエや家長に対して従属的な地位に置かれてきたのです。

戦後、この状況は一変します。
民法も改正され、婚姻・相続などにおける男女平等が定められました。
さらに、高度成長とともに核家族化が進行し、
封建的イエ制度は完全に消滅したように思えます。
しかし、容れ物としての家族のあり方は変わったとしても、
その容れ物の中身である一人ひとりのあり方は変わったのでしょうか?

家族とは、第一義的に相互扶助的な支えあいによる組織です。
(「愛」は二の次、というか、近代における幻想の産物にすぎません。
でも、その幻想が捨てきれないから、
あるいはその幻想が現実において裏切り続けるから、
『冬ソナ』や『恋空』が流行るのでしょうか。
そして、幻想を現実に持ち込もうとする「婚活」男女は結婚できない。
これは悲劇です)
そうした観点からすれば、
封建的イエ制度は優れたシステムだったとも言えます。
ですから、戦後にその器がなくなったときに、
イエに頼らず自立して生きる道を模索しなければならなかったはずです。
しかし、個人の価値観はそう簡単に変わるものではありません。

その結果、生じたことは、
第一に大量の「会社人間」の出現です。
頼るべき器がイエから会社に変わった、
それだけのことだったのかもしれません。
(日本企業の手法が「家族的経営」と言われたのは象徴的です。
戦前においてはイエが終身保障をしていたわけですから)

そして第二に、女性への負担のしわ寄せです。
前回書いたように、家事の負担がすべて女性に行く、
そこに「孤母」が出現する背景があります。
1回目のブログで紹介した宮台真司さん(首都大学東京教授)が、
郊外ほどテレクラにはまる主婦率が高いと
かつて何かの本で論じていました。
家族から解放され、「誰でもない存在」になる時間がほしい。
そういうことだったのだと思います。

現代に至って、
会社はすでに一生を保障する器ではなくなりました。
そして、女性が家事の負担を一手に引受ける責任を放棄し始めました。
(注:当然の権利です)
これ以上、代わりとなるべき器はありません。
正確に言えば、器は自分で作り出さなければならない、ということです。
結婚しなくても生きていける人ほど結婚できるという逆説は、
ここから生じます(10月26日付ブログ参照)。
そして、多くの日本人が器に頼って生きていた時代に
ずっと「おひとりさま」を通してきた上野千鶴子さん(東京大学教授)は、
現代人を脅迫するような本を書いたのです(11月2日付ブログ参照)。

僕の中ではいろいろなものがだいぶつながってきました。

2010-1-12

「孤母」と子育て

『孤母社会』(講談社α新書) こういう、社会の病理や事の本質をズバリ突いた、
気の利いたタイトルの本は、たいてい外れがありません。
著者の高濱正伸さんは、数理的思考力と国語力の育成を柱に、野外体験なども取り入れた
ユニーク指導で知られる学習教室「花まる学習会」を運営されている方です。
(僕の地元に本部があるものですから、個人的によく知っています)
その高濱さんが、実例などを紹介しながら、現代における子育ての問題とその処方せんを、
家族の側面から論じたのが本書です。

「孤母」とは、高濱さんの造語で、地域社会(コミュニティ)や血縁などから切り離されてしまったまま、
子育ての問題をひとり抱えて苦悩する母親のことです。
本来、子育ての仕事は母親ひとりに押しつけられるものではありません。
お母さんの手がいっぱいなら、兄姉や祖父母が代わりに面倒を見る。
また、近所や町内の人たちが声をかけ、悪いことをしたら叱る。
子供は社会全体で育てるものだったのです。

この状況が変化したのが、戦後の高度成長期でした。
若年層は職を求めて都市に出て行き、郊外に新しい家庭を築きました。
1組の夫婦(とその子供)からなる家族、核家族の誕生です。
核家族では、困ったときに祖父母の力を借りることができません。
また、父親は夜遅くまで家に帰らず、子供のことは母親に任せきりです。

さらに、都市の郊外ではコミュニティの意識が希薄化しているため、
家族を支える社会に穴が開いてしまっているような状態になっています。
そうした中で、母子の関係はカプセルに閉じこもったようになり、
母親は誰にも助けを求められない不安やストレスを溜め込んだまま、
過保護や、その反動として虐待などの問題を引き起こす。
高濱さんはこのように指摘します。

こうした高濱さんの現状分析は、親にやらされて中学受験や高校受験をした生徒は、
大学受験にいたっても主体的に進路などを決めることができないという、
僕の予備校の現場における実感とも一致しています。
(残念ながら僕の力量不足によって、そういう生徒を僕はどうすることもできません。
高濱さんが予備校講師から児童教育に転じた気持ちもよく分かります)

しかし、そこに描かれた家族のあり方は、あまりにステレオタイプにすぎるのではないか
という感想を抱きました。
この著作で高濱さんは、専業主婦を前提として話を進めています。
そして、夫は時に妻の話に耳を傾け、子供には仕事をするカッコいい姿を見せ、
母親にはできない父親の役割を果たすべきだと説きます。
とても分かりやすい性的役割分担の図式です。
(もしかして、そうした価値観を持った、社会的地位も高く、経済的に余裕のある親御さん(だけ)が、
「花まる学習会」に通わせているのかもしれません。そういう親御さんなら、僕も予備校で目撃します。
社会科学編「16.超極私的教育論」で指摘したように、入試向けガイダンスが親御さんで
溢れかえるのです。そんな親御さんでは子の「学ぶことへの主体性」は開かれないのになと、
苦々しい思いで見ていますが、僕は「花まる学習会」の実態について知らないので、憶測で物を
言うのはこのへんで止めにしておきます)

現代の家族はもっと壊れているのではないか、
誤解を恐れず言えば、壊れているくらいが丁度良いのではないか。
僕は、学生時代に読んだ宮迫千鶴(1947〜2008)さんの『ハイブリッドな子供たち』(河出文庫)を
思い出しました。
宮迫さんは、画家として活躍する一方、家族論・女性論に関する評論活動でも知られていた方です。
久しぶりに読み返してみると、次のような一節にあたりました。

 「(離婚とは)夫婦のいってみれば不健全な在り方を解消するための終止符であり、
 新しいやり直しに向かうサヨナラこそ離婚である。実体は不健全そのものなのに、
 “子供のために”という大義名分をたてて健全そうにふるまうというのは、実は
 子供のためにはならない。」

両親が仲違いしているときに、子供である自分にだけは良い顔を取り繕おうとして、
でも、心の内は見え見えで、その欺瞞に自分をダシに使われたような哀しみの経験が、
誰にも記憶の片隅にあるはずです。
宮迫さんは、昭和20年代に両親が離婚し、父親の単親家庭に育てられた方ですから、
言葉の重みが違います。
今ほど離婚に対して寛容ではなかった時代に、好奇や偏見の眼にさらされ、
社会的な風当たりも強かったことでしょう。
しかし、だからこそ、〈普通の家庭〉の価値観に縛られることなく、
自立した生き方ができるようになったと、宮迫さんは言います。

宮迫さんが『ハイブリッドな子供たち』を上梓してから20年以上たち、
両親共働きの家庭やシングル・マザーも増加して、家族のあり方も大きく変容しています。
「孤母社会」の問題を考えるには、戦後の家族観の推移を詳しく追っていく必要がありそうです。

2010-1-5

小説・ナカノオーエノオージ

「で・・・どうしますか」
マスターは、季節外れの門松でも見るように僕の顔を鏡越しにのぞきこみ、
いぶかしげに言った。
むむむむ、だからいつもと違う床屋に行くのは嫌なんだ。
今年も猛暑が続いた8月の終わり、僕は藤沢にいた。無茶な依頼で、
ふだんは行かない校舎に夏期講習の講座を入れられたのだ。
しかも、午前と夕方の授業の間に、4時間近くの空きがあった。
駅前の喫茶店はすべて行きつくし、5日目の最終日、しかたなしに
町外れにある床屋のドアをくぐった。
「え、えっと・・・1センチくらい」
僕は、予備校講師にはあるまじく、人と面と向かって話すのが苦手だった。
緊張してしまうのだ。
マスターは実りある対話をあきらめたらしく、おもむろに椅子を上げて髪を切りはじめた。
鏡の顔には、疲労の色がありありと写しだされていた。
それは、炎天下の苛酷なスケジュールだけが理由ではなかった。
夏前に30歳を超えた僕の身体からは、確実に何かが損なわれていた。
「巨人相変わらず強いですねえ」
話のきっかけとしては、適切である。しかし、僕はますます閉口した。
昨日の福浦のバッティングについてだったら、いくらでも話せるのに。
でも、藤沢の床屋のマスターがロッテ・ファンである確率は、今から阪神が優勝する確率以上に
低いし、もし仮にそうだったとしても、初対面の客にロッテの話をするというのは、少し非常識である。
「これくらいでいいですか」
頭の後ろに鏡を並べ、投げやりにマスターは言った。僕は「はい」と答えた。
それ以外の言葉が、口から出てくるはずもなかった。
首からビニールがすっぽりと被せられた。洗髪だ。首には水が入らぬよう、手ぬぐいが挟みこまれた。
「きつくないですか」多少きつかったが、黙ってうなづいた。
だいたい、きつくなかったら、用をなさないではないか。
シャンプーが始まる。ごしごし。床屋での洗髪は、実質的というか、自分ではできない力強さがあって、
とても好きだ。しかし、髪の毛が余計に抜けないか、少し心配である。
昨年の夏あたりから、抜け毛が気になりはじめていた。
「前にどうぞ」マスターはシャワーの温度を手で確かめながら、洗面台の前へと僕をうながした。
後頭部に当たる湯の刺激が心地よい。すると、それを邪魔するように、マスターは言った。
「かゆいところはありませんか」その時、僕は「右の耳の方」と答える自分を想像した。
そして、その響きを頭の中で反すうしているうちに、「中大兄皇子」が思い浮んだ。
日本史の講師らしく。みぎのみみのほう→ナカノオーエノオージ。
僕は授業でも、中大兄皇子と口にするのが好きだった。
授業の最初に「それではテキストを開いて」というだけで噛んでしまう僕でも、中大兄皇子と
口にすると何か滑舌がよくなったような感じがする。
もうひとつ、「コシャマインの乱」もお気に入りだ。
ナカノオーエノオージ、コシャマインノラン、こういうのが、本当の『声に出して読みたい日本語』なんだよ。
しかし、藤沢の場末の床屋で洗髪されている現実の僕は、「いいえ」と答える。
僕はだれも見ていない洗面台の底にむかって、ひとりニヤリとした。
その拍子に水が目に入り、少ししみた。
髭を剃り、ドライヤーで髪を整えてもらうと、いくぶんか疲労の影も薄くなったように感じた。
空き時間に床屋というのも、悪くはないな。
外に出ると、だいぶ陽は落ちたものの、けだるい暑さが続いていた。
僕はまた、30過ぎのしがない予備校講師に戻る。今年の夏、最後の授業だ。


この文章は、今から数年前に、とある予備校で
「生徒配布用の冊子に何か書いてくれませんか」と頼まれて、
「じゃあ、現代的な明るさの中に哀愁をたたえた歴史小説を書きますよ」
と言って原稿を送り、案の定ボツになったものです。
それ以来、小説は書いていません。
(これが小説と言える代物かは別にして)

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プロフィール

【相澤 理】
(AIZAWA OSAMU)
職業:予備校講師

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相澤 理